1922年、ライプツィヒ近郊のヴルツェン生まれ。ヴァイオリンをE.ヴォルガント教授、ライプツィヒ音楽院では、W.ダヴィッソン教授に師事。
在学中からゲヴァントハウス管弦楽団の代用メンバーを務め、第二次世界大戦中は、リンツ帝国ブルックナー管弦楽団に所属し、
フルトヴェングラーやカラヤン等のもと演奏活動に従事した。1946年ワイマール音楽大学の講師、49年に教授就任。1951年ライプツィヒ放送交響楽団第一コンサートマスター、同時に母校ライプツィヒ音楽院の教授に就任する。 1955年ゲヴァントハウス管弦楽団第一コンサートマスターに迎えられ、同弦楽四重奏楽団第一ヴァイオリン奏者としての活動も開始。 1987年に引退するまで、コンヴィチュニーら歴代の指揮者、国際的なソリストたちと競演した。
1962年ゲヴァントハウス・バッハ管弦楽団を創立、ソリスト兼指揮者として活躍した。同管弦楽団との演奏旅行で訪れた国々は、40カ国にのぼる。
1961年の初来日以来、日本での演奏は回を重ね、1980年霧島国際音楽祭を創立。 2000年まで音楽監督、現在も名誉音楽監督として、後進の指導にあたっている。 1994年から通算7年東京藝術大学客員教授、以後日本に在住。
近年は指揮活動に専念し、ゲヴァントハウス管弦楽団や、新日本フィルハーモニー交響楽団をはじめとする日本の主要オーケストラへの客演多数。
1998年神戸市室内合奏団首席指揮者、2000年に音楽監督に就任。同年より新日本フィルハーモニー交響楽団首席客演指揮者、2002年ミュージック・アドヴァイザー。 2004年4月からは、東京藝術大学チェンバーオーケストラの指揮者も兼任している。
2006年には、同オーケストラを率いてヨーロッパ公演を行い、各地で高い評価を得た。 2009年から、ジャパンアカデミーフィルハーモニック初代音楽監督に就任することが決定している。
1962年と1986年にドイツ民主共和国国家賞、1972年ライプツィヒ市ニキシュ賞、1998年ドイツ連邦共和国第一等功労十字勲章を授与される。
日本国内でも2005年神戸市文化賞、2007年音楽クリティック・クラブ特別賞、2008年エクソンモービル音楽賞本賞等の受賞歴がある。